2010-01-01から1年間の記事一覧

ニコニコ進歩派、ニコニコ保守派

「テニミュ」が流行っていた頃とは隔世の感がある。あの頃は、動画を台無しにするような空耳がニコニコ動画の象徴たりえた。人が増えた結果、無法であり続けることができなくなった。サーバが自前になり、削除が強化され、権利者に嫌われる動画が減った。今…

しゅうまい君はMAD的

人の作った映像や音声を編集して評価を得るのがMAD作者、人の考えたツイートを学習してfavを得るのがしゅうまい君 「本来の形からずれたもの」を現出するのがMADやコラージュといった手法、また、しゅうまい君や圧縮新聞といったメディア 作者より素材の方が…

ネットと変人とニコニコ動画

インターネットの普及は、世の中にいくらかの解放感と緊張感をもたらしたと思う。誰でもたやすく情報発信できるようになり、誰かが目立つ場所で変なことをすれば、大勢の人から目に見える形で叩かれたりつっこまれたりするようになった。 「叩く」と「つっこ…

ニコ厨の終焉

「ニコニコ動画」と「厨房」を組み合わせた「ニコ厨」というスラングがある。微妙でややこしい語だが、かつてはそれなりに力のある概念だったように思う。そして、「かつては」と言いたくなる理由を考えてみた。 「ニコニコ生放送」など、ニコ動であってニコ…

ニコニコ動画における上と下

ニコ動をニコ動たらしめる根本は、何よりも「動画の上にコメントが流れること」にある。ニコ動において、動画は「鑑賞するもの」というより話のネタに近い。 ニコ動における動画とコメントの関係に似ているのが、音MAD(ニコ動でよく見られるスタイルの動画…

MADの匿名性

MADという手法は、作者が直接見えないという意味で、歌ってみたや踊ってみたよりも匿名的である。さらに、作者の個性が見えづらい*1という意味で、作曲や手描きよりも匿名的である。MADにおいて、一般的に作者は目立たず、主役はあくまでも素材である。だか…

ウェブと個人化と脱個人化

これを読んで考えたこと ウェブでは、「自分のことを公開すること」が容易である。それは、社会における自分の存在を拡大するものでもあるし、自分だけの領域を縮小するものでもある。 ウェブでは、「名前を隠して情報を発信すること」が容易である。それは…