ネットと変人とニコニコ動画

インターネットの普及は、世の中にいくらかの解放感と緊張感をもたらしたと思う。誰でもたやすく情報発信できるようになり、誰かが目立つ場所で変なことをすれば、大勢の人から目に見える形で叩かれたりつっこまれたりするようになった。 「叩く」と「つっこ…

ニコ厨の終焉

「ニコニコ動画」と「厨房」を組み合わせた「ニコ厨」というスラングがある。微妙でややこしい語だが、かつてはそれなりに力のある概念だったように思う。そして、「かつては」と言いたくなる理由を考えてみた。 「ニコニコ生放送」など、ニコ動であってニコ…

ニコニコ動画における上と下

ニコ動をニコ動たらしめる根本は、何よりも「動画の上にコメントが流れること」にある。ニコ動において、動画は「鑑賞するもの」というより話のネタに近い。 ニコ動における動画とコメントの関係に似ているのが、音MAD(ニコ動でよく見られるスタイルの動画…

MADの匿名性

MADという手法は、作者が直接見えないという意味で、歌ってみたや踊ってみたよりも匿名的である。さらに、作者の個性が見えづらい*1という意味で、作曲や手描きよりも匿名的である。MADにおいて、一般的に作者は目立たず、主役はあくまでも素材である。だか…

ウェブと個人化と脱個人化

これを読んで考えたこと ウェブでは、「自分のことを公開すること」が容易である。それは、社会における自分の存在を拡大するものでもあるし、自分だけの領域を縮小するものでもある。 ウェブでは、「名前を隠して情報を発信すること」が容易である。それは…

第三形態?

「世界の新着動画」を見て、ある意味で原点回帰だと思った。外部の動画にコメントを付けてた時代は、「みんなで動画を見てコメントするサイト」という雰囲気で、視聴者とコメントが主役だったように思う。内部に動画が投稿されるようになってからは、創作系…

ニコニコ動画と空耳精神

β時代の三大動画と言われる「陰陽師」「湯浅」「きしめん」は、いずれも空耳が重要な位置を占めるものだけど、これらの動画の面白さの構造を空耳中心で捉えると以下のような感じになると思う。 陰陽師:滑稽なものを空耳でさらに滑稽にする 湯浅:滑稽に見え…

「ドS」「ドM」という言葉の矛盾について

本当に極度のサディストやマゾヒストだったら、それは笑えるようなことではないはずで、「ド」なんていうギャグテイストとはそぐわないと思う(フィクションの世界なら別)。実際、この表現は濫用されてて、「極度」の意味は薄い。なんで「極度」じゃないの…

兄貴祭り

兄貴(ジャンル名)も以前はカウンターカルチャーぽかったけど、いまやある種の権威ですらあると思う。メドレーの制作陣が「豪華な顔ぶれ」だったり、祭りの規模から「さすが兄貴」とか言われたり。キーボードクラッシャーなんかは、ある意味で兄貴と対照的…

「七色のニコニコ動画」

個人的には良いと思うけど、否定的な意見が前作よりも多いような。現場以外は2chのYouTube板ぐらいしか見てないけど。 前作以降に流行った曲が中心で、伝統的な定番曲が目立ってないのは、批判される原因として大きいんだろうなあ。だって前作以降に「ニコニ…

ひろゆきとホリエモン

昨日ニコニコ生放送でひろゆきとホリエモンが雑談してたのを思い出して、二人を比べてみたくなった。以下、印象または事実 共通点:逸脱してる、ロジカル、グレーゾーンを行こうとする。 相違点:ひろゆきは基本的にヘラヘラしてる、ホリエモンは基本的に頑…

「ニコ厨」という言葉はややこしい

「ニコニコ動画を好んで見る人(人格に問題のない人を含む)」という意味合いで使われることもあれば、「ニコニコ動画を好んで見る人のうち、厨房」という意味合いで使われることもあれば、「ニコニコ動画を好んで見る人、つまり厨房」という意味合いで使わ…

「恣意的」という言葉の誤用について

ネット上でよく見る。「意図的」との混同。 文章によっては意味がわかりづらくなるから、有害な誤用だと思う。 というか、別に「意図的」や「作為的」で通じるわけだから、よく知らない言葉をかっこつけて使ってるように見える。それに加えて大概は批判的な…

ボカロ

この動画の中(6:28〜)で、ボーカロイドが音楽業界を変えるかも、という話があった。 受け手のことを考えると、架空のキャラに夢中になるような人は一部の人だろうし、キャラを取ったら単なる人間の歌手の偽物だし、そんなに大したものではなかろう、という…

はてな匿名ダイアリーに書いたエントリの中で気に入っているもの

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