面白さについて(雑文)

たまに、世の中に「面白い人」と「つまらない人」がいるかのように語る人がいますが、人生の中に面白いこととつまらないことがあるだけだと僕は思います。なぜなら、面白いかどうかは主観でしかないし、人間は多面的だからです。
面白さを客観的に決めようとすると、数字を取れるかどうかみたいな話になります。要するに視聴率至上主義です。あるいはアンケート至上主義(ジャンプ)です。それはそれで有効ですが、それだけでありとあらゆる面白さを網羅することはできません。
面白いかどうかは主観だけれど、マトモかどうかは客観です。「面白くない」は感情論もしくは感情表現ですが、「マトモじゃない」は論理的な批判たりえます。こことここが矛盾してるとか、ここの日本語がおかしいとか、この絵は物理的に不自然とか、あるいは「基本がなってない」とか。
作法に従うことは、面白くないことと紙一重です。面白いものが好きな人は、常に新しさを求めているからです。作法を知らないのは未熟ですが、作法を知った上で作法に従わないのはスタイルです。現代音楽とか全部そうです(多分)。
面白さについて考える上で、多様(性)という言葉は一つのキーワードです。なぜなら、人の趣味は多様だからです。プロの世界では、マトモじゃない表現は切り捨てられることが多いですが、ウェブにはマトモじゃない表現を自由に投下できます。よって、ウェブには良くも悪くも多様な表現があります*1
人の趣味は多様ですが、全ての人はホモ・サピエンスでしかありません。だからこそ、視聴率至上主義やアンケート至上主義が通用します。マスメディアにはマスメディアの役割があり、ウェブにはウェブの役割があります。当たり前ですが。