「社畜」という言葉の俗化について

はてなブックマーク - 社畜論に学ぶ「プロブロガー」の文章術 - 徳丸浩のtumblr

QJV97FCr
社畜」ってサラリーマンが自虐的に言うから成り立つんで、それ以外の人が口にするだけで十分不愉快です

yoko-hirom
社畜と呼ばれて誇らしさが胸にこみ上げてこないようでは,まだまだ。

もともと「社畜」という語は、ある左翼系評論家が広めたもので、ある種の労働者を批判するための言葉だった。いまでも批判の言葉として使う人はいるが、たとえばTwitterで「社畜なう」とでも検索してみれば、この言葉がどれだけ軽くなっているかわかる。どうしてこうなったのか。
批判に対応するリアクションは反論や反省であって、単なる自虐は別の次元にある、と思う。元凶は、単なる虐めのために「社畜」という言葉を使う人たちではないか?「ログ速」で社畜と検索してみれば、そんな例が腐るほど出てくる。とはいえ、これは必然という気もする。なにしろ、人を家畜同然に扱う言葉なのだから。
結局、雇われている側を叩こうとする所に根本的な原因があるのかもしれない。どうしても上から目線の言葉になるし、だから単なる虐めにもなりうる。その点、雇っている側を指す語である「ブラック企業」は安定感がある。